その1 生まれた時のこと~名前の由来

三島由紀夫は、自分の生まれた時のことを鮮明に覚えていて、産湯に使っていた時の金のたらいが一番最初の記憶だと書いていますが、ぼくはさすがにそこまで記憶力は良くないので、生まれたばかりのことのことは当然覚えていません。

ただ、父と母にとっては一番最初の子どもだったということもあるせいか、その頃の写真は(白黒だけど)たくさんあり、しかもご丁寧にアルバムにまとまっているので、当時のことを客観的に知る手掛かりはあります。

ぼくが生まれたのは1968年昭和43年の1月2日のこと。実は予定日は1月9日だったので、のんびりやの両親は、その日も普通にお正月の来客の対応をしていたそうです。その頃の我が家は、大学で教鞭を取っている父の関係で、しょっちゅう学生さんたちや父の同業の方々が家に遊びに来ていたのだとか。

お正月だけでなく、四六時中人が来ていたから、母はすごく大変だったみたい。

で、そんな中、母が急に産気づいたので、お年始にいらしていた客様の車で病院に運ばれ、出産に至ったのだとか。

母はぼくを身ごもってからも比較的健康で、しかもつわりなどもほとんどなかったから、直前までそうしてお客様の接待をしていたそうです。

まぁ、根がのんびり屋さんということも関係しているとは思いますが。

当時住んでいた家は世田谷の深沢の一軒家でした。写真で見ると、親子3人で暮らすには十分な広さだったように感じます。

ちなみに、父は小石川生まれ、母は北千住生まれ、ぼくは深沢生まれということで、我が家は3人とも江戸っ子です。

閑話休題

ぼくが生まれる前、父と母は、子どもは娘に違いないと、なぜか勝手に思い込んでいて、娘の名前だけは考えていたようです。それが「百合子」という名前。

その話を聞いた時、そんな思い込みが胎内にいるぼくに伝染してぼくがホモになっちゃったんじゃないの!?なんて思ったりもしたけれども。

ともあれ、生まれてきた子が男の子だと知って、改めて名前を考えて、すぐに「KEN」という名前を思いつきました。国際的な子に育って欲しいという理由からこの名前になったのだとか。

父は昭和4年生まれのくせに若いころから「アメリカの大統領になりたい!」という無謀とも言える野望を抱いていた変な人で、国際的な視野のある人でした。だから、自分の子どもにも、海外で活躍する時に困らないようにという理由でこの名前をつけたのです。

ぼくは小さい頃はあまりこの名前が好きではありませんでした。なんか中途半端じゃない?「ケン」ってすごく呼びにくいの。下に「ちゃん」とか「くん」とか「さん」とかつければ座りが良いんだけど、「ケン」だとなんか落ち着かない気がして。

でも、大人になって、この名前がとても気に入りました。父ほどではないけれども、比較的外国の人とも交流することがあり、一発で名前を憶えてもらえるから。これは嬉しいことです。どこに行ってもすぐに名前を憶えてもらえる(ただ、ぼく自身は名前を覚えるのがとても苦手なのですが…)。

そんなこんなで慌ただしいお正月のさなかに生まれたのですが、実は皆様、ご存じですか?1月2日って、日本では1年で一番見放された日なんですよ。だって、365日のうち、その日だけ新聞配達も、郵便配達もお休みなのですから。しかも、みんなお正月で浮かれていて覚えてくれていないことが多いし。

まぁ、もう50年以上たてば、それもどうでも良くなっちゃいましたけど。

それにしても、せっかちで、猪突猛進なぼくらしい出産エピソードだなと思ったのは間違いありません。

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父の交友範囲の広さがうかがえる一枚。香港に住む父の教え子からのカードです。

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ぼくが1歳の時に他界した父方の祖母と。

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父もまだ若かった。当たり前だけど。

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節句の時の写真。まだ何も知らない無垢な赤ちゃんでしたわ。

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個人的に一番好きな父との写真。バナナが大好きだったの。数年後違うバナナが好きになるとはもちろん、その頃は思ってもいなかったでしょうけどね。