鎌倉での日々~父から言われたこと

結局ぼくは海外から戻ってきてから小学校3年生までの約5年間を鎌倉で過ごしたことになります。

果たしてその5年というのが長いのか短いのか、わかりません。大人になってみれば、あっという間の年月だとは思いますが、子どもからすると、5年もすごく長く感じるのではないでしょうか。しかも、自分の意志で暮らす5年ではなく、両親の庇護のもとで過ごす5年ですから、先のことなんかまったく考えていなかったし、日々自分のことだけで世界は完結していたと思います。

さて、その間の出来事で、忘れられないことがあるので、ここに記しておこうと思います。

今までにも何度か書いたとは思いますが、父の仕事柄、我が家にはいろいろな人が遊びに来ました。それは、例えば父の教え子だったり、同僚だったりすることも多かったのですが、それと同じくらい、著名な学者先生や、あるいは有名な作家の方も遊びにみえました。

鎌倉という土地柄、そういう方が多く住んでいたのです。実際にぼくが住んでいた家も、大佛次郎先生の住んでいた家のお隣でしたし。

ぼくが覚えているだけでも遠藤周作、川端康成といったそうそうたる作家の方が遊びにいらしていました。一番良く覚えているのは立原正秋です。立原先生と父は、まるで兄弟のような関係でした。お互いに相手のことを良く知っていたし、家族ぐるみのお付き合いもありました。

立原先生は韓国の生まれで、晩年日本に帰化されたのですが、その時に尽力したのが父だったのです。立原正秋といえば、うちの父の名前がすぐに出てくるというくらい二人の関係は深かったと思います。

そんな家庭環境に育ったので、父は子どものしつけにもそれなりに気を遣ったようです。

当時住んでいた家は母屋から表の玄関まで中庭のようなところを通っていかなくてはならなかったのですが、ある晩、お客様を送り出した後、母屋に戻る途中で、父に言われたのです。「ケン、絶対に人様の前では“俺”と言ってはいけないよ」と。

おそらく、まだ何も知らない子どもだったぼくは、お客様の前で、粋がって、覚えたばかりの“俺”という一人称を使ったのでしょう。子どもだからTPOなんてお構いなしです。父はそれを聞いて、「これではいけない」と思ったに違いありません。

そして、強く口調で“俺”禁止令をぼくに発令したのです。今でもその時のシチュエーションは良く覚えているということは、子ども心に強烈な思い出だったのだと思います。

ぼくが今でも自分のことを“俺”と言えないのは、そんな理由があるからなのです。

でも逆に一人称が“俺”の人には男らしさを感じて萌えちゃうんですけどね(笑)。