その3実は帰国子女だったっ!?~トロント、ハワイ時代

父の仕事の関係で、ぼくが3歳から4歳にかけて、日本を離れていました。

最初はトロントに半年、そして、その後ハワイに半年暮らしていたのです。だから、まぁ、いわゆるぼくは帰国子女ということになるのでしょうが、なんせ、まだ3歳でしたから、そういうのはあまり関係ないみたいです。

でも、子どもにとってはそれはそれは大変なことだったと思います。だって、いきなり言語環境が全然違うところに放りこまれたのですから。

で、ぼくは小学校の前の段階の子どもたちが通う地元の学校に入れられました。その時のことは、何となくぼんやりと覚えています。例えば、お弁当で持たされたブリキのバスケットの中から漂ってくるサンドイッチの匂いとか。

トロントでは、最初の頃、ぼくは非常に無口だったそうです。そりゃそうです。だって言葉が全然通じないんですもの。ある時、学校の先生に呼び出された母は、「ケンは、意志疎通ができないとバイト(噛む)する癖があるから、注意して欲しい」と言われたのだそうです。ぼくも何となくその時のことは覚えています。自分の言ってることが通じず、相手の言葉もわからなくてイライラしていたんでしょうね。

ところが、約一ヶ月ほどたってから、急に英語を話し始めて、両親はとても驚いたみたい。それも、唐突に話しだして、しかも、日本語と英語を両方臨機応変に使えるようになったのだとか。

だから、半年後にハワイに行った時には、何の不自由なく、すぐに学校になじめたのだとか。

その時の面白いエピソードがあります。母がぼくを迎えに学校に行った時のこと、あるお母さんに「ケンちゃんのお母さんですか」と声をかけられたのだとか。「うちの子(男の子)がケンのことが大好きで、帰ってくるたびに、今日のケンはこんなことを言った、あんなことをしたと報告するんです」と言って、母は少し驚いたようです。実はその後、何度かそういうことを経験しているらしいですが、察するに、その時からぼくは変態変人だったのかもしれません。

ぼくが両親と日本に帰国することになった時、両親の大親友である日系の友人が「ケンみたいな性格は、日本にいるよりも、アメリカで育てた方が絶対に成功するから、良かったらぼくに預けてくれないか」と言われたそうです。そのことで両親はとても悩んだそうですが、二人にとっては初めての子どもだったので、離れて暮らすことはできないと、丁寧にお断りをして、連れて帰国したのです。

もし、ぼくがその時、その人に預けられていたらどんな人生を送っていただろうかと妄想することがあります。

なんとなく、ぼくのような性格だから、両極端な人生を歩んでいたかもしれません。

もし成功していたら、何か世界的にも有名な何か(アーチスト?)になっていたかもしれません。でも、成功しなかったら、NYのゲイコミュニティでドラッグとHIVでボロボロになり、命を落としていたかもしれない。

つまり、ぼくは子どもの頃から両極端な部分を持っていたのではないかと思うわけです。

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左の写真は何かで叱られてしょげている写真。たぶんボストンに遊びに行った時のものじゃないかなぁ。右の写真は、その学校の卒業アルバムかなんかで撮った写真。実は水ぼうそうができていたのに母が気づかず、写真を撮ったようです。びっくり!

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手に持っている絵本を今でもよく覚えています。大好きだった。今でもうちにあるのかなぁ。今度探してみよう。

もうひとつ、トロントの思い出で鮮明に覚えているのが、ロッキー山脈の横断鉄道か何かに乗った時のこと。途中の駅で停まり、写真を撮ったんだけど、その時に電車が発車しちゃうんじゃないかとすごく心配になって、泣き喚いたのです。その時のことは鮮明に覚えています。あと、ナイヤガラの滝を見に行った時のことも。当時の写真が出てきたら、また追加しますね。

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もうね、うちの母親が息子として扱ってくれていなかったんじゃないかって疑ってしまうような写真じゃない?

こんな写真を撮らせてOKだったんだから。つまり、オカマになる素養は十分このころに育まれてしまったのではないかと思うのです。まぁ、だからといって当時女の子になりたかったかっていうと、そういう認識はまったくなかった。

っていうか、まぁ、まだ性というものに目覚めていなかったっていうだけかもしれないけれども。