その5 鎌倉での生活~いじめられっ子4人組

鎌倉の雪の下というところに住んでいたのですが、その近辺の小学校では、御成小学校が良いという噂を聞き、越境入学で駅の向こうの御成小学校まで通っていました。

さすがにその頃になると記憶も断片的ですがいろいろと覚えています。

小学校に入学したばかりの頃、なぜかぼくはクラスの中で少し疎外感を抱いていました。それが一体なんなのか自分でも良くわかりませんでした。

その時の担任の男の先生がまたかなりの硬派。っていうか頭の中まで筋肉っていうような男でした。その谷嶋先生(仮名)は、ぼくみたいな生徒が苦手だったようです。そして、ぼく以外にもそういう生徒たちはいました。一人は、ものすごく真面目でおとなしいタイプの男子生徒でした。あまり自分からはっきりと意見を言わないようなタイプ。もう一人は背が高くていわゆるハーフっぽい顔立ちの男の子。母に確認したところ、別にハーフでもなんでもなくて、顔立ちの濃かった母親に似て、息子もハーフのように見えたとのこと。もう一人が少し知恵遅れが入った感じの女の子でした。たぶん、その4人が先生の目の敵にされたのだと思います。当時はそういうの、普通にありましたから。で、いつの間にか、その4人の母親が仲良くなり、子供たちを連れて遊びに行ったり、お互いの家を行き来したりするようになったようです。

当時の彼らとは今はまったく疎遠になってしまいましたが、みんな元気にやっているのでしょうか。噂によると、そのハーフっぽい顔立ちの子は、弟も同じような感じで、相当女の子にもてて、若いうちに結婚してパパになったみたいですが、その後のことはまったくわかりません。

そうそう、その時の担任の谷嶋先生(仮名)のことですごく良く覚えていることがあります。顔は忘れちゃったんですけど、体育会系の人で、腕の筋肉が自慢で力こぶを見せてもらったことがありました。それにぼくは子ども心に欲情したのです。

今から思えば、その頃からぼくはたくましい男に対する憧れというか、性的な魅力のようなものをうっすらと感じるようになっていたのかもしれません。

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みんなで源氏山にピクニックに行った時の写真。なんちゅうパンツを履いとるんや!母親の趣味です。当時は(今でもだけど)まったく服装に興味がなかったので…。

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これ、自分でもびっくりなんですけど、自分じゃないみたい。実はぼくはもともと一重だったのですが、この時片方が一重、もう片方が二重という状態でした。ゲイの世界では二重よりも一重の方がモテる(男らしいという象徴)ので、せめてこのぐらいにとどめていて欲しかった(涙)。